
1938年 佐賀県唐津市に生れる。現在79歳。
1969年 理想の斑を求めて31歳で陶芸の道に入る。
1982年 唐津市北波多に三里窯を築窯、独立。
1986年 しぶや黒田陶苑で初個展。以後毎年開催。
斑唐津に魅せられて
斑唐津の美しさに魅せられ、理想の斑を求めて31歳で陶芸の道に入る。
13年の修行の後、斑唐津を作陶する上で欠かせない土を求めて岸岳の麓に、割竹式登窯を築窯。
岸岳は室町時代末期、初めて唐津焼が焼かれた場所。
耐火度の高いこの周辺の土は、ガラスの原料である珪酸を含む砂岩質。高温で焼くとガラス成分が溶けて硬く焼き締まり、ざっくりと荒々しい土味が生まれる。
その土味を活かすため水簸せず掘り出したままの土を胎土とし、昔さながらの蹴ロクロを回す。
釉薬は、六十年前の餅米の種を取り寄せて近隣の農家に栽培依頼し、自らその藁を焼いて灰にし独自の方法で釉薬を作り、出来た藁灰釉を施釉する。
そのこだわりにより生み出される斑唐津は、滑らかな肌合いで白濁した流れの中に青や紫や黒等の斑(まだら)が現れ、深遠さがただよう。
焼成の際は斑唐津に照準を置き、窯の温度を1400度まで上げる。
割竹式登り窯は唐津焼が焼かれた始めた当時使われていた形で、竹を割って斜面にかぶせたような細長い窯。浜本の操る窯の傾斜は25度でその斜面を炎が勢いよく走る。この窯は不安定で扱いが難しく現在使用する作家はほとんどいない。
窯出しされる器も斑唐津が圧倒的に多く、茶碗、ぐい呑みをはじめ、皿や碗等の日常雑器が多いのも特徴の一つ。
それは「日々の生活の中で唐津焼を使っていただき、使う程美しくなる唐津焼をご覧頂きたい」と願う、唐津焼を愛する浜本の思いだろう。
斑唐津をはじめ、朝鮮唐津、絵唐津、粉引、黒唐津等掲載しています。しっかり焼く事を信条としている浜本作品は、こんがりとした土味も魅力です。
【浜本作品紹介著書】
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- 「現代日本の陶芸家125人」黒田草臣著 小学館
- 「唐津ALL of Karatsu」阿部出版株式会社
- 「佐賀の窯元めぐり」佐賀新聞社
- 「炎芸術 2018秋」阿部出版
他多数